語彙力練習帳

(ジャ○ニカ学習帳のリズムで)

とあるオタクの誕生秘話

 


タイトルの構文にザワした皆さん、同世代ですね(固い握手)どうもこんばんは。

ちなみに、8月23日のKARASTA配信にて、「only my railgun」を披露する私の愛しい推しメンが見られますので、ぜひアーカイブ視聴してください!

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https://karasta.net/profile/ks68791073

 


 

今日は、大好きな季節がもう終わろうとしている今、ふと思い出した記憶のおはなし。

 

 

 

________________✍︎꙳⋆

 

 

 

遡ること16年前の或る秋の日、中学一年生だった少女Mはその日、どうしても家に帰りたくなかった。

少女Mというか、まぁ、私なんですけど、、、

 

 

家が嫌いだったわけではない、むしろその頃は所属していたバスケ部の先輩と折り合いが悪く、放課後は部活に行かずそのまま家に帰りたい、と毎日思っていたほどだ。

だけどその日は嫌いな先輩の嫌味も、いつも機嫌の悪い顧問の怒号も、しんどいだけのランニングも何てことなかった。

その日その時の私の頭は、「どんな顔で家に帰ろうか」ということでいっぱいだった。

 

 

 

________________✍︎꙳⋆

 


 

さて、今これを読んでくれているのはみみみのTwitterフレンズ=DDのオタクだと思うのだけれど、みんなは(DDに限らず)オタクになった時、一番最初に何をしましたか?(ここでの"オタク"の定義はそれぞれに任せるとして)

 

 

 

私は手紙を書きました。

ファンレターじゃなくて、お母さんに書きました。

 

 


________________✍︎꙳⋆

 

 

 

その前夜に意を決して書いた手紙を、学校へ行く直前に母親に渡した。

なんて言って渡したかはもう覚えていない。顔も見ずに「読んで」と伝えサッと渡して家を出たと思う。

「なにぃ~?!急に~?!怖いわ~」という母親の声を背中で聞きながら家を出た。

 

 

手紙の内容は以下の通りだ。

 

最近、小学校からの友達Hちゃんに教えてもらった関ジャニ∞というジャニーズのアイドルが気になること、

今度の12月に新しいCDが出ること、

Hちゃん曰く予約しないと手に入らない初回限定版についてくる特典のミサンガ(青色)をどうしても手に入れたいので買って欲しいこと、

CD屋さんで予約できるらしいので連れて行ってほしいこと。

 

 

こんなことをわざわざ手紙に?と思うかもしれないけど、あの日の私はとにかく必死で、悪い意味でのドキドキを胸に感じながら、一言ひとこと、何度も書き直しながら書いた。

 

 

私が18歳まで過ごした田舎町には中学生が一人で行けるようなCDショップはなかった。

親に車で連れて行ってもらうか、日本で一番運賃が高いと言われている地元のバス(片道20分程度の場所に行くのに500円以上かかる)に乗っていくしかなかった。

当時うちはお小遣い制ではなく、遊びに行くたびに必要な分のお金をもらって遊びに行っていたのだが、私はそれまでやましいことなく健全に健やかに育っていた子どもだったので、嘘偽りなく目的地や用件、誰と一緒かを都度伝えてお金をもらっていた。(強制ではなく自然に自主的に)(偉いね…)

そんな当時の私が、この時ばかりは、口頭で小遣いをねだる事ができなかった。

 

 

つまり何が言いたいかっていうと、

ジャニーズのCDを予約するためにお金をもらうこと=アイドルを好きになることが、当時の私の認識下では、というか、私の認識する母親にとっては、あまり「良くない事」だと思っていた。

 

 

 

なぜこう思うのか、理由は明確だった。

私の母は当時(というか今も尚)、アイドルはおろか、俳優や歌手、スポーツ選手など所謂【有名人】を好きになり、その動向を追いかけるということをしたことが無い人だった。

 

 

 

毎週金曜日の夜、ミュージックステーションがテレビで流れているのが定番だったのだが、ジャニーズや女性アイドル、バンドのパフォーマンスに番協(ファン)が入ることが、コロナ前まではよくあったのが懐かしい。

「今夜は○○人のファンの皆さんの前でのスペシャルステージです!」という女性アナウンサーの言葉に合わせて「キャーーー!」という黄色い声援と共に、一瞬映るファンの姿を見て母は、

 


「わからんわ~」

 


と毎度言葉をこぼした。

きっと『そこまで熱狂的になる気持ち』がわからない、という意味だったと思う。

 

 

 

嫌味で言っていたわけではない、と今なら理解できる。

趣味、嗜好、人それぞれ。自分の好みや考えの範囲外のことはいつだって誰だって「わからない」はずで、母はそれをただ口に出しただけだった。

だけど、当時、その黄色い声援を浴びるその人たちを新しく好きになった13歳の私にとって、その「わからない」は「キャーーー!」という声を上げる理由全てを否定するような言葉に聞こえたのだ。

 

 

 

「言えるはずがない」

Hちゃんの家でライブDVDを見せてもらっていることも、

学校帰りに町の本屋でアイドル雑誌を立ち読みしていることも、

歌番組にジャニーズが出ていたらこっそり凝視していることも(こっそり凝視という矛盾)。

ただ、そうは言ってられない欲が生まれて、それを満たすためにどうしても言わなきゃいけなかった。お金が必要だった。中学生の自分は無力だと思った。

ない頭で考えた末に、私はペンを取った。

 

 

 


________________✍︎꙳⋆

 

 

 


こんな日に限って、近所に住む友達がことごとく捕まらなかった。

一緒に帰る友達がいれば、暗くなるまで公園で喋り尽くして、帰る時間を遅らせられるのに。

1人で時間を潰せるような場所もない、まっすぐ家に帰った。

 

 

 

いつもなら、弟たちと共同の子ども部屋にカバンを放り投げて、夕飯前にも関わらず、おやつがないか冷蔵庫を漁るような中学生だった(食べ盛りの健康優良児で笑う)。

だけどこの日はそのいつも通りを過ごすにはあまりにも足が重かった。子ども部屋で立ち尽くして考える。

「どうしよう」

どうにもならないのに。

子ども部屋にいるだけあって、どうしようもなく子どもだった。

 

 

 

ただ、思春期真っ最中育ち盛りの身体は正直なもんで、こんな時にもお腹は鳴る。

やむなく母の居るリビングへ向かう。

 

 

 

「ただいま~」

なるべくいつも通りの声色を意識して声をかけるも、母の顔を見ることが出来ない。

「おかえり~」

恐らくテレビの方向を向いているであろう母の声、いつも通りで少しホッとした。

 

 

 

「そのまま行く?」

続いた母の声に驚き、思わず顔を上げ「どこに?」という言葉が口をついて出る。

TSUTAYA行くんちゃうの?」

『そのまま』の意味が『制服のまま』ということだと時差で気付く。

 

 

 

10分後、母が運転する車はTSUTAYAがある隣町へと繋がる堤防沿いの道を走っていた。

制服を着たまま、嬉しい気持ちを抱えた私を助手席に乗せて。

 

 

 


________________✍︎꙳⋆

 

 

 


今年の4月、MeseMoa.春ツアーの初日公演にお母さんを連れていった。(私の誕生日を祝う旅行がてら、と銘打って、『ついてきてもらった』というのが近いけど。)

私が所謂"アイドルオタク"になって約16年、会場の外まで送り迎えをしてもらったり、物販列に一緒に並んでもらったりしたことはあれど、公演に一緒に入るのは初めてだった。

 

 

 

会場に入って、コロナの影響で一つ開けだったけど、隣の座席にお母さんが座った時、この秋の日の事を思い出した。

もしあの日、お母さんがCDの予約をするのにTSUTAYAに連れて行ってくれなかったら、手紙を読んで「アホらしい」って言っていたら、今こうして私は楽しくオタクできてなかったかもしれないって思うと、感謝の気持ちが込み上げてきて、実はこっそり少しだけ泣いた。

 

 

 

もし仮に今日までにアイドルオタクをやめていたとしても、【好き】って気持ちを大切にできる大人になれていたと思うし、私も自分以外の大事な誰かの【好き】の気持ちを大切にしたいなって思った。

 

 

 

まぁ例え親が許してくれなかったとしても、何かを好きになる気持ちって自分以外の誰にも止められない、って知ってるから、私のお母さんがそうだったとしたら逆に反骨精神ですげぇやべぇオタク()になってたかもしれないけどね!!!(タラレバ言い出したらキリないからこの辺で)

 

 

 

結果として、生のMeseMoa.を見てもお母さんはイルミィにはならなかったけど、

終演後「(ライブ)どうやった?」って聞く私にお母さんは「あんた含めオタクのみんなが楽しそうにペンライト振ってるの見て泣きそうになったわ」って言って笑った。

 

もうあの日の「わからない」だけのお母さんじゃないことがめちゃくちゃ嬉しかった。

 

 

 


________________✍︎꙳⋆

 

 

 


そんなこんな(どんな?)で私、今、北海道に居るんです。

人生で初めての北海道!寒くてすごい!(バカの感想でごめん)

なにかはっきり分からないけど、嬉しくてあったかい気持ちが胸に込み上げてるなうなんですけど、

 

 

 

とみたんのこと好きになってなかったら、今日こうして北海道来てないんだな~って思って、どんどん遡ってくと、オタクになったあの日の事を思い出して。

色んなことが重なって、今日が、明日の現場があるんだなぁってね!

そんな気持ちでまとめてみました。

 

 

 

あの日お母さんが許して(という言葉が適切かちょっと不安だけど)くれたことから始まって、色んな「○○で良かった」の積み重ねで今があるってことを常に忘れずにいたいです。

 

 

 

仕事頑張ってきて良かったな

今日健康で居られて良かったな

あの子と仲良くなれて良かったな

とみたんを好きで良かったな

 

 

あの日の私へ

自分の力で大好きな人に会いに北海道まで来れるようになるよ。

好きな物は変わっても、好きって気持ちは忘れないでくれてありがとうね!!!

 

 

チケット代や交通費が払えるのも、平日こうして休ませてもらえるのも、日々の自分の頑張りのおかげであることは間違いないので、そこはしっかり自分を褒めてあげるとして(偉いぞ~!!!)、

自分一人じゃどうにもならなかったことや、自分だけだとここまで楽しくなかっただろうなって事が沢山あったオタクとしての16年だったから、これから先も、今の自分がこうして楽しく居られる全ての要因にちゃんと感謝して、次の現場を楽しみにできるオタクでいたいです!います!!!

 

 


________________✍︎꙳⋆

 

 

ひとりで生きていたならば ひとりで生きていないから
愛しさ込み上げるほどの「大切」に出会えたんじゃないか
こだわって生きると 今一度 言い切るよ
原動力はずっと ひとりで生きていないこと

 


ひとりで生きていたならば / SUPER BEAVER

 


https://youtu.be/mipJGUpG1xI

 

 

 

 


あなたが居てくれてよかった。

そこのあなたです🫵(だから指をさすな)

読んでくれてありがとう⋆꙳